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「書きたいこと」「今書いてはいけないこと」「書きたくても書けないこと」 の区別や判断が難しくてなにも書けないでいる。 書かなければ書かないで、いろんな思いが沈殿してくるので それはそれで苦しかったりする。どないせいというのか自分は。 現地のウサギのことを書いてみる。 最初はナナシの子達だったがオッチャンに頼んで名前をつけてもらった。 親しみ、愛情をを持って欲しいと思ったからだ。 名前は「さゆり」、「はなこ」という。 「はなこ」は最初など、人が来るとすぐに穴の中に入ってしまい ほとんど姿をみることができなかったのに 最近は私が行くと「ゴハンの人きたよ」という感じで穴から出てお出迎えしてくれるし 食事の後にはおしりを投げ出してくつろいでくれる。 「さゆり」は手のひらを差し出すと寄ってきてつんつんと鼻を押し当てウサギ挨拶をしてくれる。 掃除をして、牧草、ペレット(ウサギフード)、お水をあげたあと いつも野草を摘んできてあげるのだが、それらを大喜びで食べてくれる。 こないだあげた野草はタンポポ、シロツメクサ、ノゲシ、スギナ、ヨモギ。 (野草には毒性が含まれるものもあるので、本、ネットで安全を確認してから ウサギにあげるようにして下さい。 また、除草剤、農薬の心配のなさそうなところ、排気ガスの影響のないと思われる場所の 野草を摘んであげるようにして下さい。) 動物の活動といえども、その内容は人間同士のやりとりがほとんどなので 嬉しいことも多いがやはり疲れてしまうことがある。 少しずつ心を許してくれてくれて、楽しそうに遊んでいる2匹をみているのは単純に楽しい。 もう少し、なんとか、この2匹を良い状況に持っていってあげたい。 ![]() はなこも食べたら眠いらしい。お行儀良いですこと。(6月12日) ![]() 皿にまで乗り出して食べるさゆり。おちつけ。(6月12日)
私を含め現地活動を進める3人の者が取材を受けた。 荒川ウサギの活動をしていて テレビ局の取材には本当に嫌な思いをさせられたことが多くてウンザリ・・ なにか特権でもあるかのような、勘違いした振る舞いの人達がたくさん来て 事件についてなにかを伝えようとする意識を持っている人はほとんどいなかったように思う。 おもしろがられる「対象」になることは、ただただ不快。 カメラはただの暴力にしか感じられなかった。 「カメラを向けることが暴力である」という自覚のない人たちが 番組制作に関わっていることに対し私は怒りを感じる。 この記事を書いた毎日新聞の記者は一番最初にこの事件を取り上げた人であった。 マメに取材し、こちらの意見をとりいれてくれていたし 気持ちやウサギの現状を伝えてもらえることができたと思う。 違う立場にありながら尊敬できる人がいることは人間関係上とても気持ちが良い。 私や活動に関わる者の気持ちが 外側の「広いところ」に繋がっていったようで嬉しいな。 記事をご覧にならなかった方はこちらを是非。↓ 柵の撤去に関する記事(2005年4月26日付) 荒川河川敷のウサギ繁殖:残り2匹、さく撤去 ○さん「もう増やさない」 /東京(タイトル中の個人名は伏字にしました) 新しい記事(2005年6月2日付) ここに注目: 荒川河川敷を跳ね回るウサギ 10匹まだ行き先、見つからず /東京 里親探しの活動をしてくれている方々のHPも掲載していただいた。 save the rabbits 現在ウサギをペットとして迎えいれようとしている方にはこちらも是非見て欲しい。 ペット屋の動物だけが動物ではない。 誰かが金儲けのために作った命の前に 行き場を失っている動物がいるという現実を知って欲しい。 ![]() オッチャンはウサギが好きで俺は誰よりもウサギを可愛がっていると思っている。 嬉しそうな顔でウサギを眺めているところを見るとまるまる嘘ではないなーと思うのだけど・・。 オッチャンのウサギの世話は 掃除は二日に一回程度らしく、ろくにゴハンや水もあげていないことも多い。 一時の加熱報道によって、人がたくさん集まってきていた頃には 良くも悪くも「人の視線」を気にして、ある程度きれいな状態を保っていることもあった。 そうするとやはりオッチャンは 掃除をしない事に対してどこかしら「悪いこと」だと思っているのだろうか? 最近ではやる気のなさに加え季節もあって虫がわいたりし、劣悪な状態になってしまった。 最近は写真のようなこんな感じ(これでもかなりマシなほう・・) ウンチが散乱し、オシッコが衣服や布、布団にこびりつきハエが湧いている。 トイレにみたてた藁の箱はわかりずらいのであるが おしっこが何日分もこびりつきカビがはえていた。 自分自身のゴミも床にじかに捨てている。 私は人の生活範囲に介入するわけであって、 すぐには全てがなんとかなるとは思わなかったが 生き死にが関わってきてしまうと頭にくることが多い。 動物のかわいがり方は人それぞれであり、 どこからが正しいのかという線引きは非常に曖昧だ。 やりかたは人それぞれでも、できること全て(勉強、環境、条件)を自分のできる限り整えるのが 飼い主としての資格ではないか。 生き物が生きてく上で最低限必要な環境を与えられない人は虐待だと思っている。 ゴハンも水も与えられず、排泄物の上に暮らせといわれたら誰だって嫌だろう。 オッチャンは、死んでしまう子に関して、それはその子の運命であり「しかたない」といい、 また別のコを飼えばいいと思っている。 「しかたない」という言葉は全てをやり尽くした人が吐く言葉ではないのか。 最先端の医療をうけさせることだけが幸せではないと思うけど その環境の中で精一杯できることをしてくれないことに対して悲しさと怒りを感じる。 保護した荒川ウサギのことを書かれているyuririnさんのブログ、 ウサいけでりっく=Soliloquize= の中からオッチャンに知ってもらわなくてはならないことを見つけた。 病気に関してかかれていたことから引用 >他のお宅で似た病状が後に >出て居たのは、近親交配等も起因しているのではと思いました。 「ずっと先の他のコ達の為。」より引用。 死んでしまったallyちゃんのことが書かれていた。 >ずっと先の他のコ達の為に、 >Allyの40日の生涯や >彼のカルテが遺してくれたモノが有ると信じています。 allyちゃんの記事を読み 悲しみにくれてぐだぐだと日々ごまかしていた私はちょっと恥ずかしかった。 考え方ややりかたに違いがあってもyuririnさんのやり方に優しさと尊敬を感じた。 この方は深い深い悲しみのうえに立ち、決してそこから逃げていない。 今のオッチャンは尊敬できるところがない。 ずさんな繁殖によって生死がわけられること、 劣悪な環境のために苦しんで死ななくてはいけなかった子について どう伝えていけばよいだろう。うまい答えが見つからない。
2月22日、国土交通省「荒川下流河川事務所」は河川敷に柵を設置した。 金銭的な配慮からか手持ちの材料で製作したという。 オス、メス分けたところでこの時既に妊娠してしまっていたウサギもいたし 動物にも相性の良し悪しがあり、縄張り争いで命を落とすことを考えると 「柵を作ってオスメスに分ければ解決」なんてそう簡単にはいかない。 それでも今になって考えてみると 国土交通省として「本来の仕事、目的」ではないことに よくぞそこまでやってくれたものだと思う。 柵が出来て騒ぎが沈静化するかと思いきや大変なことが起こった。 保護活動を行う方のもとへオッチャンから 「不届き者が柵に入り暴れている」 と連絡があり、そこにいる1匹を除きすべてのウサギが緊急に保護された。 保護されたウサギ達は、現在、保護した方達が世話したり病気を治したり そのときに既に出来ていたウサギの子供を育て、里親探しを行ったりしてくださっている。 不届き者が現れたという事態は最悪ではあったが 現場で騒がれて、弄られて、不幸にも死んでしまうウサギの子供達を見ていただけあって そのようにきちんと面倒をみてもらい幸せを願われて育てられていく仔ウサギたちがいることを 最悪の中の良い事であったのではないかと思う。 (もちろん、そんなこと起こってはいけないことであったのだけど) ウサギも含め、ペットというのは 人の協力なくして生きていくことができない存在なんだとつくづく感じる。 オッチャンは最初は病気が治ったらウサギを返してくれといっていたが 「里親探しも全てあんたら(私や保護活動されている他の方)にお任せするよ」 という風に言ってくれた。 それも悲しいかな今となってはオッチャンのかっこつけであったという疑惑大。 後々「やっぱり返してもらえないのか」などところころ意見が変わり いろんな人が振り回されるハメになる・・。
作業が難航している。 ぐだぐだの気持ちのまま 床にごろーんとねっころがっていると 2匹のアホアホ男子チームが交互に顔をペロペロしてくれる。 「あんたも大変だけどまあがんばりなよ」という感じだろうか? 2匹のうちの一匹は荒川のコで うちにきてくれてから2ヶ月くらいしかたっていないのだけど 今やすっかり甘えウサギ、甘えさせウサギになっている。 ヒザに乗ってきては「頭を手に押し付けて「撫でろ」と要求したり チュウして~と私が甘えると、かならず顔ペロしてくれたりする。 (吐き気を催した人はすみません。 恋愛をしている時と一緒で確実に知能が下がっていますから!) 母性本能くすぐり上手で ワガママには「しょうがないなあ」と答えてくれる。 これはもう女殺し。 私が撫でたいとき、自分から顔を突き出してきたり寄ってきてくれたりする。 ちょっと疲れてボーッと放心しているとき 背後からやってきて背中に前足を乗せて「どうしたの?」と気にかけてくれる。 偶然だと思うかもしれない・・最初は自分でも偶然だと思っていたが 1度や2度のことではない。 目薬を点すのに捕まえようとする時は こちらがどんなに優しい声で呼んでも猛ダッシュで逃げてしまう。 ・・・ 感情をどこで捕らえているのかわからないが 私の微妙な気持ちを言葉以外で察して感じ取ってくれていることがわかる。 ヒトも言葉以外で人を慰めることができ、 言葉以外で感情を汲み取ってあげる感情レーダーが備わっていれば 他人ともっと仲良くなれるのになあ、なんて思う。 早川義夫のHPの日記を読んでいたら 自分の家の犬のことを書いていて、撫でているだけで幸せな気持ちにしてくれたという。 「優しくすると、自分が優しくなれるのだ。」そうだ。 ちょっといいなと思った。 なにかをあげたつもりがたくさんもらっているんだね。
近頃すっかりブログをかく気力も失せていた。 ここ何年かだらしなく暮らす事に慣れていたのに このような活動に関わりだしてからあっという間に時間が過ぎていくことが 出力する気力を失せさせていた原因だろうか。 もうひとつの原因は下らない「考え方の癖」に囚われているから。 「あーもう世界から消えたい、何も考えたくない」 という自分勝手で脈絡のない気持ちからくるものだと思う。 決して死にたいというわけではない。 死ぬということを具体的に考えていくと うちにいるウサギ達を残して死ぬわけにはいかないし 私は痛いのも苦しいのも嫌で 痛みや苦しみを軽減する死に方を探すのも面倒くさい。 見られたくない携帯メールの処分や ああ、、あの変な服を捨てなくては死んでから恥ずかしいとか下らないことを考えると 私は決して死にたくなんかない。 死ぬことに対して行動するわけでなく、そんなつもりもない。 ようは考え方の癖でいつも漠然と「消えたい」と思っている。 こんな自分勝手な気持ちはどこからやってくるんだろ? またそんな気持ちをここで伝えてどうにか紛らわそうとする行為も甘ったれている。 どうにかこの「消えたい」願望を打ち消すことができないだろうか。 伝聞も含め現場に捨てられたウサギは10匹だという。 そのうち6匹は私の目で確認した。 1匹目は私が保護して保護してくれるという方の家に送り届け、世話をしていただいている。 2匹目は柄や性質から想像すると もともと荒川から貰われていったであろう子であると予測され その場にも適応していたのでひとまず現場で暮らしている。 3匹目は違う方が話を進めて下さっていた里親希望の夫婦の手によって 捨てられたその日に引き取られていき、幸せに暮らしている。 4匹目は現在私の家で一時的に預かっている。 5匹目は発見した時に小さすぎる体で脱水を起こしかなり弱っていた。 病院に連れて行きその日のうちに治療中、目の前で死んだ。 6匹目は共に活動している方が保護し病気の治療をしてくれている。 文字にするとただそれだけの事実。 病気や死は生きていることより生々しい。 病気というものは皮膚がただれたり、動きが鈍ったりすること。 死は特有の臭いを出し、目をひん剥いて 時には苦しみもがきながら逝ったりもするということ。 捨てた人達は最初なぜ動物を飼ったのだろうか。 見た目の愛らしさからだろうか。 死んでしまった5匹目のうさぎ「むぎ」。 食べ物の名前をつけると元気で長生きすると誰かに聞いたので そうなることを願って名前を付けた。 外傷が原因で2箇所に大きな膿瘍ができていた。 捨てられた日数を考えて計算しても川原で出来た外傷とは考えられず 虐待による外傷ということも想像の範囲内だ。 その子は私の目の前でぶるぶる痙攣をしながらばたっと動かなくなった。 注射によるショック死ということも考えられるが 注射の量も、タイミングも先生が充分に考慮した上で判断していただいており 慎重に行った。これ以上はできなかったのだと思う。 病院の先生が酸素を吸わせながら心臓をマッサージしてくれたけれど 自分の力で体を動かすことはもう無かった。 死んだというより人によって殺されてしまったのだと思っている。 捨てたり虐待する人の気持ちというのはどういったものだろう。 捨てる人は、排泄物の臭いや感情をぶつけるものから逃れたかったからなのか。 自分で殺せないけど誰かが拾ってくれるなら幸せになるだろうと 身勝手な罪悪感の打ち消をしたいからだろうか。 虐待する人はどうだろう。 自分の思い通りにならないのであれば 自分の手でどうにかしてしまおうと思うゆえの行為なのではないか。 結局はどちらの人間も生々しさが 自分の想像のできないところから襲ってくるのが怖いからじゃないのか。 私自身「むぎ」の死がうまくうけとめられず すきをみては逃げたいと思い依存行為に走っている。 私自身死から逃げたいと思っている部分があった。 死から逃げようとする人も自分の死に対するこれまでの考え方もクソ喰らえだと思う。 きれいごとの「命は大切」ならばもうそんな言葉はいらない。
とにかく場所も、人も、ウサギも、全てが混沌としていた。 警戒心が強く逃げ回るウサギを追いかけまわし 無理やり抱きかかえようとする親子連れにカップル。 軽く注意しても嫌な顔をされてしまう。 特に「ウサギを飼っていたことがある人」というのが始末が悪い。 やたらに自信があるらしく、抱きかかえるのが上手いと思っているらしい。 ようはオマエにいわれたかねえよという感じだと思う。 どんなに抱き方が上手でも細心の注意を払わねばならない。 ウサギの性質上、動きが予測不能だという事が全然理解できていないのだと思う。 動物病院の先生でも落とす事故があるくらいで 誰もが慎重になるべきなのに。 ウサギは骨がとても弱い動物であるので どのような慣れた人間でも高い位置で抱きかかえないのは当然の配慮であり それができないのは明らかな勉強不足ではないか。 「私は飼っているから大丈夫」というのは「根拠がない自信」という事の自覚が必要だ。 こういう困った人は自分に子供がいれば他の全ての子供の事が判るとでも思うのだろうか? 勘違いも甚だしい。 静かに荒んだ場所では嫌な事が次々と起こる。 連日の報道陣、野次馬騒ぎでウサギが怯え、 近くに設置された小さな柵の中に身を寄せていた。 下の小さな隙間からウサギが出入りできる。 ある日、小学生の高学年くらいの男の子達が10人くらいで わらわらと自転車に乗ってやってきた。 その小さな柵の中に入ったウサギを外に出したかったのか なんと、バットでガンガンと柵を叩き始めた。 私は見かねて 「そんなことして良いとおもっているのか?」と尋ねてみた。 彼らは黙って、しばらく固まっていたが 「すみませーん」 と言い、近くの場所で野球かなにかをやり始めた。 その行動を止めたかったのが一番だが、何故そんなことをするのかを聞きたかったのに。 別の日にフジテレビの取材がきていた。 私は現場につくなり目を疑った。 そのテレビのクルーらはカメラ片手に路上喫煙しているのだ。 携帯灰皿の使用すらない。しかも吸殻は下へ捨てていた。 火事になったらどうするのか、ゴミや周辺への配慮はどうなんだろうか。 報道をする立場である人間たるもの人並み以上に倫理観が問われる。 それが「普通考えればしちゃいかんこと」すら理解できないとは。 さきほどの小学生と同じように「そんなことして良いと思っているのですか?」と訊いてみたら なんと「他の人にも注意してください」だそうだ。 どういう頭の構造をしているのだろうか? 「誰々ちゃんだってやってるよ」という頭の悪い子供の強引な責任回避のようだ。 フジテレビは歩行喫煙、路上喫煙の問題を取り上げるときに 自分の会社の社員を出演させればよいのではないかと思う。 出演料も安くあがるうえにリアリティがある。 さきほどの小学生達がこのようなどうしようもない大人にならない事だけを 心から願っている。 また別の日TBSテレビの取材がたくさん来ていた。 注意してもウサギの子供がいる部屋にドカドカ入り込み騒ぎ、撮影をしようとしていた。 フラッシュだけは勘弁してくれとお願いしたが、撮影だけでもやはり騒音だった。 やはりその子供らはみんな死んでしまった。 どうして撮影するべきではないのか・・もっとちゃんと説明すれば良かった。 何故、止められなかったのだろう。私もテレビクルーもウサギを殺したのと同じだと思う。 問題が起こっている場所というのは かならずといって違うトラブルを持ち込もうとする人がいる。 それはむしろ子供ではなく大人が大半だ。 ゴミの問題にしてもそうだ。 現場はゴミだらけで汚い。 最初に汚したのはオッチャンの問題だと思う。 この人は「ホームレスだからだらしない」のではなく「だらしないホームレス」なんだ。 しかし汚いからといってゴミを捨ててよい場所ではないのは明らかなのに 平気でゴミやタバコの吸殻を捨てる人がいる。 これらのおかしな全ての人に共通すること。 なぜこういう事をしてはいけないのか?という考えがなさすぎる。 モラルの押し付けだけで生きてきた人間は モラルが通らない場所では何をやっても良いのだと都合良く勘違いするのだと強く実感した。
ある堤防付近。 青いビニールシートのホームレスハウスの周辺に たくさんのウサギがぴょんぴょん跳ねているのが見えた。 たくさんのウサギの他たくさんのギャラリーがいた。親子連れにカップル・・ありとあらゆる人達。 問題となっていた堤防は正直どこがそんなに問題かは良くわからなかった。 仔ウサギの死体を2匹みた。 泣いている女の子とおっちゃんが2人で埋めていた。 育児放棄*なのかどうかよくわからない。 人間が判断するのは難しい。 ただニュースの影響によって突然人が押し寄せれば、 神経質な母ウサギがストレスにより子供を育てることをやめてしまう事があるだろう。 誰が、私が、というわけではないけれど直接的でないにしろ人が殺した可能性もあるわけだ。 ある種の感情を自分の中に深くしまいこんだ。 一時的に悲しがってその時の自分を納得させる事はいけないことと思った。 ある里親希望の方と接触。 親子連れで来ていた。 本来ならば、おっちゃんではなく判断能力がある第三者が介入してから ウサギを迎えるように考えて欲しかった。 経済的、環境、飼う人のアレルギー、他家族の賛同などなど・・の問題がある。 そのうえここにいるウサギ達は妊娠、病気の心配があった。 どの人にも動物が飼えるわけではない。 条件が揃わない人には人間、ウサギお互いを不幸にするだけだ。 一時的な気持ちの盛り上がりだけで飼うと、その動物の嫌な面をみた時、 面倒な部分を背負いきれなくなった時 手離さなくてはならないという最悪の結末だってある。 まっとうな感情を持ってる人間ならばそれは苦しいと思う。 手離されるウサギの方は慣れた環境から引き離され、その人間よりもっと辛いめに合う事になる。 自分が優しい人と思わず「自分は出来ないのではないか」を前提に考えなくてはならない。 自己批判能力が欠けている人には向いていない。 人と動物の条件が揃ってはじめて双方幸せに動物が飼える状況になる。 そのへんをあまりにも軽視した人が多いと思う。 私も知識が豊富というわけではないが、できるだけの仲介をしようと思った。 その里親の方とは今も飼育方法のアドバイスや報告していただくためにたまに連絡をとっている。 偶然だが良い人であったのがラッキーだった。 この日はおっちゃんに軽く厳しいことをいったら彼の嫌いな行政の手先と間違われ嫌われるが、里親対応をしているうちに信頼されたらしい。なんとか名誉バンカイして帰った。 *育児放棄 エサや水が足りなかったり、母ウサギの体調が悪かったり、人が騒がしい状況など ウサギにとって好ましくない環境の時に起きたりする事。
現在うちには3匹のウサギがいる。 *もともと家にいた子。 軽い病気はあるがとても元気。 *荒川出身の子、保護していたが最終的に里親は探さず引き取った子 目に病気があり、一日3回の目薬挿し、定期的な通院をしている。 ・・・この子に関してはたくさんの歴史があり、その話には怒りや悲しみがもの凄く詰まっている。 いまだに私はその怒りを整理できていないので、この子の話は今はまだ書けない。 *4月10日、中年夫婦がホームレス氏(以下おっちゃん)に 引き取ってと言い残して置き去りにされた子 実質は捨てられてしまった子。 妊娠の疑いもあるためにまだ里親は探していない。 現在のうさぎをとりまく活動状況は 現地で主に活動している人間は私を含め約2~3名 保護、里親探しをしている人は数名 HP制作、ブログ制作に関わってる方数名 賛同、意見を下さる方などなど。 次から次へと問題が起こり、私もほとんど休めていない状況だ。 状況をよくする活動だけに専念して休めていないのであればなんの問題もないのだが・・。 弱い立場のものがいる場所、問題の起こる場所に わざわざ新たなトラブルを持ち込む人間がたくさんいる。 こんなにも足を引っ張る人がいるなんてことをこれまで考えもしなかった。 ブログというものはその時騒がれている話題の方が楽しく読んでもらえるだろうか。 そういうものもあるだろうけど、全てがそんなことはないだろう。 ワッと楽しませそのまま忘れさられてしまうようなことならば私が書く意味などない。 というかそんな文章は私には書く力がない。 読んでくれる方の数が少なくても長期的に覗いてもらえるような事を書いていけたらなと思う。 どこまで書いてよいのか、今書いてよいのか非常に判断が難しい。 いろんな立場の人が見てくれる可能性があることは嬉しい反面怖いこともある。 もっと時間が経ってからの方が良いのではないかとも考えたが 今伝えたい感情というものもあるわけで慎重にやっていきたいと思う。
2月のある日。 荒川の土手にうさぎが大量繁殖したというニュースが流れた。 あれから時間が経ち、また何事もなかったのように周囲の毎日が過ぎていったが 事件が起こった場所ではあいかわらず現実に問題としてそこに在りつづけ 新たな問題が起こったりしている。 ウサギは寒い日も暑い日も雨が降ってもそこにいる。 この状況はウサギ達にとっても人間にとってもそれは大変不自然なことだと思う。 ペットとして世の中に送り出された生き物は野生動物のように外の環境に適応することは無理な話だ。 この状況を不快だと思う人間もいるだろうし、 ウサギにとっても人間にとっても良いはずがない。 ウサギの数を減らさなくてはならないと思った。 活動仲間と共にウサギの保護、病気の手当て、身元の確かな里親探し、ご飯の世話、ホームレス氏の指導をおこなっている。 このブログは記憶の日記として書き始め、いづれか現実に追いつき本当の日記になる予定。 かわいい、かわいそうから一歩先に進むために どのウサギとも幸せなさようならをするために私はやっていくと思う。 その記録としてブログをはじめることにした。 どうかよろしくお願いします。
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